伝説の源平合戦、篠原古戦場
「篠原古戦場」は、平家の木曽義仲に最後の抵抗を試みて敗れた地。
平家の老将、斉藤別当実盛はかつて命を助けた義仲の情けを乞うことを善しとせず、
正々堂々と戦うために白髪を黒く染めて出陣しましたが、源氏の若武者に討たれ、
その討ち取った首を洗って初めて実盛と知った義仲は涙したと伝えられ
「首洗池」には義仲が悲涙にくれる名場面の像が建っています。
1キロほど離れた「実盛塚」 は、実盛のなきがらを葬ったところと伝えられ、
与謝野晶子は「北海が盛りたる砂にあらずして木曽の冠者がきづきつる塚」の句を残し、
今は老松が塚を守っています。
奥の細道でこの地を訪れた芭蕉も、実盛伝説をもとに
「むざんやな甲の下のきりぎりす」の名句を詠みました。
その句碑は首洗池のほとりに建てられています。
また、木曽義仲の奉納と伝えられる実盛の兜は、今も小松市多太神社で
見ることができます。
能楽の世阿弥も、実盛伝説に影響された一人です。謡曲「実盛」は、
布教のため加賀に訪れた遊行上人が実盛の霊を供養したという
言い伝えから生まれました。
伝説の戦場はやがて名作の舞台となり、今も多くの人々を惹きつけています。